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あれから1年、病気と体のこと。

突然こんな話でなんだけど、生理が始まったのは9歳の時だった。

その時の私の身長は147cmで、それからほとんど身長は伸びなくなり、12歳で153cmをマークしたところで止まった。
以来、私の見た目は15年間変わっていない。
関連性があるのかないのか判らないけれど。

生理は重い方だったと思う。中学では湯たんぽを抱きながら授業を受け、本当にひどい時は寝込む以外何もできなかった。
電車で目の前の関係ない他人を殴ってやろうかと思うほどの腹痛、腰痛、体の重さ、時に頭痛、そして下痢。
初めからそうだったから、そういうものだと思って生きてきた。

20歳の時、突然大量に不正出血して倒れた。
それから貧血の症状が出るようになり、常に手足はしびれ、疲れやすくめまいがしていた。
気を遣って生活していたつもりだったけれど、ヘモグロビンの値が7.9g/dlから上がらなかった(女性平均は12.0~16.0g/dl)。
医者にかかっても原因は判らず、「ホルモンバランスかねぇ」なんて言われていた。

大学の授業を度々休みながらもなんとか4年で卒業し、就職難と言われた時代に無事小さな会社に拾ってもらい入社。
やはり平日に生理が重い日が重なると脂汗を流しながら仕事をしたり、本当にひどいと動けず有休を取ることもあった。

 

ここまでが前置き。


いい加減この生理痛に苦しむばかりの人生が嫌になって(ちなみに中間痛もひどく、1ヶ月の半分はお腹が痛くてめそめそしていた)婦人科にかかったのが2012年の12月。
ついでに子宮がん検診もしてもらった。

 

2012年12月21日、検診結果を聞いた。職場の忘年会の最中だった。
「子宮頸がんのクラス3b、大きな病院で再検査してください」

子宮頸がんについてはここではどんなものか詳しくは言わないけれど、性感染症の一つで、ウイルスに感染して起こり、クラスはその程度。

 

クラス1は処女さんなので置いといて、2が正常、3が危ないかも知れないよ、4がおそらく軽い癌でしょう、5が子宮頸がんです、という段階で、そして3は更にa/bと分けられているそう。

(その時の恋人さんに病気のことを話したら自分でいろいろ調べたようで、その結果「誰から感染したの?」と聞いてきた。なんてこと言うんだあんたは。このウイルス自体はありふれたもので多くの人が持っているものだそうです)
元々親が看護師でその教科書もよく読んでいたので、よくある話だと自分に言い聞かせながらも、気が気でない年末年始を過ごした。


2013年1月7日、市民病院での精密検査結果でクラス4が確定。
あれよという間に手術同意書や入院手続書を渡され、ぼんやりと会社に戻る。

生理痛で休みがちだったので、入社2年目の私にはほとんど有給休暇が残っていなかった。通院も仕事を途中で抜けて、その分残業して相殺させてもらっていた。
とりあえず親にメールし、上司に報告。全員おろおろしていて、私はだんだん冷静になっていった。

2013年1月31日、入院する為午後半休をもらい、会社から直接病院へ。
病院に着いて、院内の説明と、手術と麻酔の説明をされた。
病室は4人部屋で、私と同じ状況の人と、子供を産んだばかりの人、産んだばかりの子がNICUに入っている人と、なかなか悲喜交々の空間だった。
早い夕食を取ったら絶食。
シャワーは予約がいっぱいで入ることができなかった。
眠れなかったので、薬をもらった。

2013年2月1日、昼から手術。

入った手術室には、焼けた肉のにおいが残っていた。私の直前に同じ手術をした人がいたんだな、と察した。
手術内容としては、癌化している所は目視で判らないので、それっぽい所を焼き切って取るというもの。
切った部分を後日検査にかけ、癌化している所が全て取り去れていたら手術成功、メスの切り口にも癌がかかっていたら、取り去った部分以上に大きく癌化しているということなので全摘。子宮を。
ちなみにこの手術(円錐切除術)をした場合、しなかった人に比べて3割ほど流産率が上がるらしい。まぁそもそも産めるかどうか、いやもっと言えばそんな相手がいるかどうかも判らないのでその辺はあんまり気にしないでおいた。<br>
麻酔は下半身なので意識はあった。それでも腕はだんだん動かなくなり、胸が重く呼吸がつらくなり、それなりに怖かった。
若い男性の医師が緊張をほぐそうとずっと話しかけてきていた。
「仕事何やってるの?」「設計、か、開発で・・・」必死に答えるけれど息も絶え絶え。
希望すれば全身麻酔で眠ったまま手術してくれたのだけれど、私には意識がある中で手術されるよりも全身麻酔をされる方が怖かった。

手術は1時間しないで終わったと思う。


そういえばベッドのままエレベータ乗って手術室入ってって移動するの、重病人みたいで楽しかったなー。
午後は少し眠り、同期が貸してくれた本を読んだりぼうっとしたりして過ごした。
Twitterのみんなが優しくて、生きてて良かったなーって思った。

2013年2月2日、朝食後、退院。少し疲れていたけれど、特に何の異常もなく、ふつうに自分の家に帰った。
土曜日だったので、日曜日をのんびり過ごし、月曜日だけ会社に休みをもらって火曜から出社してふつうに働いた。
休んでいる間に私の持っていた緊急の案件はいくつか別の人に渡ってしまったけれど、何事もなく終わっていた。
会社で全てを知っていたのは上司とリーダーと、あと数人。



切除した部分の検査が終わり、上皮内癌でした、完全に切除できましたという診断がおり、20歳からなんとなく払い続けてた保険もおりた。人生何があるかわかんないなぁ。払っててよかった。
最初の検査から手術入院薬代ぜんぶで10万円ちょっとかかって、保険は60万円くらいおりた。なるほど、これで詐欺が起こるわけだ。
おなかの肉が少し減り、晴れ晴れとした気分だった。

●あれからそろそろ1年。
1ヶ月毎だった検診は3ヶ月毎になった。今のところ再発はしていない。


●ところで最初のきっかけだった重い生理はというと。
子宮筋腫があると生理痛がひどいという話もあるけれど、私の場合は無関係で、じゃあどうしましょうかという話になり、今、ルナベルLDをのんでいる。
低用量ピルを21日間のむことで妊娠したような状態を作り出し、生理来ないようにしておなかを休ませてあげよう、ということ。
これのんでるとホルモンバランスが整って、7日間の休薬中に来る「生理のようなもの」がぐっと軽いものになる。
すごい。本当に痛くない。腰が多少鈍く重く痛むけれど、鎮痛剤のんでしまえば全く気にならない。すごい。

ただそのルナベルLDをのんでいる21日間は、地獄みたい。
12時に服薬すると、14時頃から頭がぼんやりし始め、めまいがひどくなる。時々右のこめかみだけとても痛む。吐き気があり、食欲がない。
18~20時くらいが症状のピーク。
なんとか午後の業務を終えて、動けなくなって会社で少し寝てから帰ることが増えた。
本当は朝のみなさいと言われているけれど、1日具合悪くなってしまうのが嫌で勝手に昼にした。いちばんのみ忘れない時間だったし。

それでも、1ヶ月のうち半分が動けなくなるほどお腹が痛くてのたうち回らなければならないのと、毎日くすりをのんでめまいでぐるぐるするの、どっちが良い? という選択で、今のところ後者を選んでいる。
その副作用は数ヶ月すれば慣れて消えるよ、という言葉を信じて。
のみ始めて3ヶ月経った今、まだひどいけどね・・・。
食欲不振だけ消えた。
あとひどかった肌荒れがさっぱりなくなった。
生理前に理由もなくどす黒い気持ちが湧き上がっていらいらすることがなくなった。
ついでに貧血もなくなった。
あー、私、ホルモン下手だったんだね?

来週の月曜日から、くすり4シート目に突入する。
それを21錠のみ終わる頃に、定期検診がある。
今のところなんとか元気で、こんな感じで生き続けることになりそうです。
その節は、ありがとうございました。

 

…妊娠したい場合はくすりのむのをやめてくださいだって。
いつそんな機会が来るのだろうか…いやーできるかなぁ…まず相手がだね…

 

追記。
いま子宮頸がんワクチンで副作用がどうのって騒ぎになっているし、妊娠もしていないのに婦人科にかかるのに抵抗はあるだろうけれど。
風邪をひいたら内科に行くように、ちょっと違和感があったら婦人科に行ってほしいし、何歳だって子宮頸がんの検査をしてもらいたいなって思う。
市で補助が出ていて無料~1000円くらいで受けられるし、一瞬痛いけれどすぐに終わるし、結果もすぐ出るから。
私は、いろいろあったけれど、全てスムーズにすぐ終わって良かったなって、思う。